評論『虫と歌』『25時のバカンス』きょうだいが他人だということ。★★★★★
『虫と歌』市川春子 講談社 掲載誌月刊アフタヌーン 出版2009年
『25時のバカンス』同前 出版2011年
市川春子という作家
千葉県出身 札幌在住 大学卒業後、デザイン会社に就職。月刊アフタヌーンでの数度の短編掲載だけで、不動の人気を築き上げた不思議な人。主に高野文子に多大な影響を受けているであろうそのサブカルなイラストが話題に。ここで取り上げる2冊は自分で装丁デザインも手がけている。星野源にイラスト提供したりとその界隈で存在界を強めつつある。2016年現在初の長編『宝石の国』を連載中。
繰り返し描かれる「きょうだい」
この人の作品は不思議で、大好きだ。物語は深刻なようであっさりしていて、逆に画はあっさりしているようで深刻なことを描いている。そこをうまく言えたらいいのだが、言えないので、とても不完全ながら思いついたことを。
この2つの短編集、また『宝石の国』においてもだが、兄や弟あるいは姉や妹という血のつながりのありなしに関わらない「きょうだい」という関係がほぼすべての話に登場する。嘘ではない。忘れた人は以下を見て欲しい。
『虫と歌』
星の恋人
主人公とつつじ。もとはといえば同一人物だが以下の場面で兄妹という関係が出てくる。
ヴァイオライト
唯一この話だけこの「きょうだい」が出てこない。
これだけ例外ということはこの物語が逆にいうとすごく重要なのだが、語るべき言葉がありません。
日下兄弟
タイトルの通り肩を壊した野球部エースが、謎の生物と兄妹のように暮らし始める物語。
虫と歌
表題作。一見普通の兄妹に見える3人だが実はそうではなかった。
『25時のバカンス』
25時のバカンス前編・後編
姉と弟の話。彼女の描く作品では最も直接的なエロが出る。近親相姦という危うさと美しさと持った作品。
はっきりSEXの暗喩である場面。エロさ満点。
パンドラにて
宇宙開拓時代、妹を含む才女だけが教育を受ける、宇宙調査員の将来の花嫁養成所が舞台。実は冷酷な天才である兄が仕掛けた残酷な施設であった。
月の葬式
家出した天才少年が、月からきた難病の異星人と兄弟になる。
ほぼすべてがきょうだいをめぐる話になっているのである。
きょうだいが他人になる。
もう1つ共通点がある。このきょうだいという関係が他人同士になってしまう、あるいはもともと他人であるということであること。25時のバカンス前編・後編の場合だと、姉は貝に寄生されそもそも人間ではなくなってしまう。星の恋人の場合はつつじは腕を切り落とし記憶を失うことで、パンドラにてでは不仲による断絶と殺害で、それぞれ他人同然となってしまう。他の作品ではきょうだいと呼ばれているが、便宜的にそうなっているだけである、つまりもともとが他人だ。
このようにきょうだいが他人に、あるいは他人がきょうだいになるということ、つまりはきょうだい=他人というテーマが繰り返されているということだ。
これは一体なんなのだろう。
25時のバカンス後編より 姉と弟いう関係がわからなくなる場面
きょうだい=他人からの「返礼」
さらに不思議な話がある。すべてではないがこのきょうだい=他者が、再びなんらかの形で「返礼」を与えるというのも共通して見られる要素だ。
わかりづらくて申し訳ないがこの2つの要素が見られる作品を、これまでの整理も含め一つ一つ見ていこう。
星の恋人
主人公さつきとつつじはきょうだいという関係が途中までは構築される、にも関わらずさつきはつつじに思いをよせる。しかし彼女が実は叔父さんのものだということが発覚。主人公の思いに悩んだ彼女は、腕を切り落とし彼女の分身として返礼した。そして彼女はその副作用で、幼女化。記憶を失ってしまう。そしてラストは再生が約束されている腕の画で終わるのだが、それは彼女が主人公さつきの恋人としてもどってくることを暗示している。
読んでない人にはさっぱりだと思いますが、短編ですので是非読んでください。
日下兄妹
謎の異生物妹ヒナ(死産だった妹の名だが)は、ラストの場面で主人公の肩の「部品」を「返礼」する。
虫と歌
これは少し複雑だ。実は主人公である兄の創作物である弟、妹たちは過去何人もいたことが明かされる。「返礼」というはっきりとした形ではないが、彼らにには帰巣本能が組み込まれているらしい。作中登場する不完全な兄妹しろうは、これによって家に変えってきた。これは返る(返る)という、もう少し大きな意味での「返礼」といえる。また、なんども生まれる弟、妹も転生して「返って」きてるとも言える。
25時のバカンス前編・後編
異生物と化した姉は、弟の変質した眼を補うコンタクトレンズを「返礼」する
パンドラにて
冷酷な兄は妹に擬似的な死と、ある意味での解放を「返礼」していると言える。
月の葬式
偽の弟である主人公が、月星人の難病の治療方を「返礼」する。
以上のように何らかの形で「返礼」がある。
「返礼」という言葉でピンとこない方は、大丈夫です。書いた本人もピンときてません。ですが、なんとなく「返って」くるという自己循環的なイメージがあるような気がしている。
再び市川春子という作家
最初に書いたように市川春子という作家は不思議だ。
物語は深刻なようであっさりしていて、逆に画はあっさりしているようで深刻なことを描いている。このようにこれまで述べてきたことも、一見このように見えて…という感がしてしまう。しかしながら、『宝石の国』でもやはり主人公フォスフォフィライトには「きょうだい」の関係が溢れているし、彼女?の行動原理としてシンシャへの「返礼」がやはり描かれている。この作家は寡作ではあるが、まだ若い。これからの作品を
見逃さないようにしたい。
25時のバカンス 市川春子作品集(2) (アフタヌーンKC)
- 作者: 市川春子
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2011/09/23
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感想『溺れるナイフ』十代の神話は残酷に終わる。★★★
『溺れるナイフ』ジョージ朝倉完結17巻 講談社 掲載誌別冊フレンド 掲載2004年〜2014年
ジョージ朝倉という作家
映画化作品から。
ジョージ朝倉という作家は本当にひと目でそれとわかるくらい、画にも物語にも個性がある。この人にしか書けないと思わせるものばかりで、どの作品でも構わないので読んでください。読みやすいのは短編集で人気に日をつけた『恋文日和』だろうか。卓越した画力と、胸キュンストーリーテーリングが光る。
とても粗いあらすじ
では本作『溺れるナイフ』
主人公はなんと小学生人気モデル望月夏芽。彼女が親の事情で東京のきらびやかな芸能界か離れ、田舎に越してくるとこから物語は始まります。
なんでこのコマやねん。後述します。
田舎に越してきて半ば絶望する彼女は、どこか影のある大人気ガキ大将長谷川航一朗、通称コウちゃんと出会います。コウちゃんはこのあたりの大地主で神主でもある一家の長男で、「この町のものは全部おれの好きにしてええんじゃ」と臆面もなく発言する、ワイルド少年です。
全然画像のサイズが違いますが
余談ですけど、すごい『ポーの一族』のエドガーに似てますよね
そんな彼の力強さによくも悪くも影響されていく彼女。この幼さから、またコウちゃんが持つ神々しさから、人生の絶頂ともいえる全能感を得ていく夏芽。
ですが、この全能感はある事件によって無残にも破壊され、二人の間に致命的な溝を生みます。そしてコウちゃんはグレる。心配しながらも自分の生き方を模索する夏芽。
後は読んでください。
天才の天才たる所以、凡庸からの一脱
この物語は端的に言って夏芽とコウちゃんという二人の天才のぶつかり合いと言えます。夏芽はその魅力からトップタレントしてスターダムをかけあがります。
コウちゃんはグレてしまっているので喧嘩三昧ですが、その中の狂気は周りの人々を魅了しています。
先に挙げました夏芽のコマですが、彼女のセリフ「最低だ・・・」からわかる通り、自分で言っていますがこの女マジで最低です。
詳しくは言えませんが思いっきり痛烈に人を裏切ります、しかもいい奴を。ナイーブな人ならもうこんな主人公に感情移入できない!もう読まない!となるかも。いやそんな人いないか・・。
とはいえ、通常の感覚から一脱した行動をとるわけです。他にもたとえば、自分のトラウマを利用した脚本を引き受けるとか。
これはコウちゃんにも当てはまります。端的にこれは常軌を逸した暴力と発言、また彼の育ってきた環境で描かれています。
最低と断るのにいささかの躊躇もしないこの二人ですが、それもそのはず天才は凡人には理解できません。
このある時点での感情移入困難さは二人の天才性を高めるのに必要な描写ですね、すばらしいです。
ジョージ朝倉はこのような天才の一脱がとても好きな作家です。他作品でいうと『ピースオブケイク』のあかり、彼女は結局主人公たちとは離れてしまいました。天才ですから。『平凡ポンチ』のミカは人を殺しそれを作品するとか言い出す。天才ですから!
ちなみにこの天才の一脱というテーマは松本大洋もよく扱うテーマです。*1
炎と水の美しいイメージ
本作の画について。ジョージ朝倉は画もとても上手い人です。
この作品でもいかんなく発揮されており、特に美しいのが繰り返される炎と水のイメージですね。この極端な対立、前述の天才の話とも重なりますが「極端」というのもこの作家が好きな要素です。これが彼女が他の作家と一線を画す魅力ですね。
話がそれましたが、炎と水。
水はタイトルにもありますが、以下の画のようにロマンチックとか幸福の場面でよくでます。
二人の水没ですね、美しいです。
夏芽とコウちゃんの関係が決定的になるシーン。これと同じシーンは何度も出ます。
次に炎ですが、これは二人が暮らす田舎町のお祭り火祭りや、コウちゃんの実家だっけ?思いっきり放火されるとか。以下はコウちゃんの魅力が象徴的に描かれる。「最初」の火祭り。こっちは破局とか絶望のイメージでよく出ます。
二人を引き裂くある事件の舞台ともなる火祭りのシーン
このビジュアル面での対立もすごく魅力的で、この漫画の力強さを際立たせています。
不満
不満点です。よく言われていると思いますが、終盤について。
コウちゃんの描写ですね。コウちゃんは終盤になると、だんだん凡人に近づいていきますが、これは子ども大人になるに従って経験することなので、青春を描く作品にはむしろ付き物といっていいです。しかし、ちょっとまずいのが安易に格式張った『罪と罰』とか読書させて、しかもモノローグとして『ファウスト』とか気取った作品を引用しちゃうところですね。好き嫌いもありますが、実は喧嘩だけで頭もいいんだコウちゃんはということを表現したいのなら、こういうある意味中二くさい描写はやめたほうがいい。凡人を通り越して安っぽい人物に見えてくる。
また、『ファウスト』の引用もいかにも唐突で、作品の勢いを殺している。終盤になるとちょっと失速、問題のラストの一言も俗っぽくてやだ。映画ではどうなるだろうか。小松菜奈好きです。
感想『高台家の人々』2巻から読め。サイドストーリーが面白い。星★★★★
『高台家の人々』森本梢子既刊5巻 マーガレットコミックス 掲載誌YOU 掲載開始2013年
どこで読んだかは忘れましたが、近代映画の父D・W・グリフィスは記者からの「なぜ
映画のヒロインは美人ばかりなのですか?」という問いにこう答えました。
「心の美しさをひと目でわかるようにするためだ」と。
そこで本作、読み方は「こうだいけのひとびと」
主人公の恋人、すべての点でイケメン高台茂正は人の心を読むことができます。
彼には見た目の美しさなど関係ありません。
彼はそのイケメンぶりから出会う人全員に好かれるにもかかわらず、なかなか親密な関係を築くことができません。
そんな彼が恋人に選んだのはどんくさくてなんの取り柄もないOL木絵(30歳!)
その理由は彼女の心の美しさではなく、面白さです。この女性変な妄想がとまらないのです。それはそうだろう、心の美しい人と一緒にいたら、自己嫌悪ですぐさま普通なら破局ですね。あらすじはどこにでもあるので、ここまでにしますー。
ちなみに映画化されましたが、映画の方は見る予定はありません。
予告編が壊滅的な感じなので。でも、水原希子の再現度だけは認めてます。
この漫画、画は下手といわざる得ないけど(でも服はおしゃれで好き)好きです。特に2巻、主人公彼氏の祖母と祖父の馴れ初めが面白いのでこの巻から読んでもいい。むしろこの巻だけ読めばいい。
舞台は1958年イギリス、後のおばあちゃんであるアンは主人公の彼氏と同じように人の心が読める。そうなると絶世の美女でありながらも、すれた感じになって彼氏もできません。
画は下手だけどかわいい
彼女はある時舞踏会?で、日本からの堅物留学生高台茂正と出会います。
一周回って今時になったクラシックメガネ男子。
硬派な彼にそっけなくされてしまったアンは、半ば意地になって彼女は彼を虜にすることを誓う。
アンが感じ取った彼の本心。アンに惹かれながらも心の扉(和風)を閉ざしてしまう。
こういう心のイメージがくだらなくて面白い。
彼の表面上の紳士な感じと、彼女に完全ぞっこんな心の声のギャップにロマンティックが止まらない!本編の主人公の心情と合わせたラストも、切なさと幸せに溢れてて好き。「この美しい人は、どうしてこんなにも僕のことを好きなのだろう。」これは漫画全体を象徴しているが、このエピソードでこの心情がとてもうまく表現できてて、一気にこの作品が豊かになってる感じがある。